沼田祇園囃子保存会 祭吉連は、郷土愛と世界平和を目指しています。
年 度 | 会 長 | 総 務 | 会 計 | 活動内容 |
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平成27年〜 | 須田 隆太 | 秋永 剛幸 | 平原 将吉 | |
平成25年〜26年 | 小熊 政則 | 秋永 剛幸 | 平原 将吉 | 最強の子供達を揃え、第34回沼田祇園囃子競演会にて優勝した |
平成24年〜23年 | 稲川 悟 | 木下 大輔 | 秋永 剛幸 須田 隆太 |
第12回地域伝統芸能祭に出演 創立40周年事業 |
平成21年〜22年 | 村澤 孝尚 | 木下 大輔 | 小熊 政則 | 第12回全国こども民俗芸能大会 |
平成19年〜20年 | 稲川 悟 | 須田 隆太 | 木下 大輔 | ドイツ・フュッセン市に子供達が親善大使として派遣された。 |
平成17年〜18年 | 村澤 孝尚 | 稲川 悟 | 須田 隆太 | 創立35周年事業 北海道・よさこい祭り祭礼研修 |
平成15年〜16年 | 鈴木 治善 | 吉野 宗行 | 稲川 悟 | 小鍛冶人形の衣装新調する シェイプアップガールズの中島史恵さんや石塚英彦さん来会 |
平成13年〜14年 | 中村 俊生 | 片山 雅章 | 吉野 宗行 | 創立30周年事業(緞帳幕修理) 第16回国民文化祭 |
平成11年〜12年 | 渡辺 行哉 | 村澤 孝尚 | 片山 雅章 | 遠州掛塚屋台祭・祭礼研修 京都祇園祭・祭礼研修 |
平成9年〜 10年 |
藤野 伸夫 | 中村 俊生 | 村澤 孝尚 | 第49回全国植樹祭・天覧を賜う |
平成7年〜 8年 |
平原 功 | 中村 俊生 | 村澤 孝尚 | 創立25周年事業 |
平成5年〜 6年 |
山田 豊 | 鈴木 治善 | 中村 俊生 | 長崎くんち・祭礼研修 |
平成3年〜 4年 |
秋永 幸次 | 鈴木 治善 | 須田 清七 永沢 正次 |
創立20周年事業 博多山笠・祭礼研修 |
平成元年〜 2年 |
石川 初雄 | 藤野 伸夫 | 平原 功 | 大阪御堂筋パレード参加 秋田・花輪ばやし・祭礼研修 |
昭和62年〜63年 | 橋 一夫 | 山田 豊 | 石川 初雄 | 山車新造10周年記念祝賀会 大銀座祭に山車での参加 唐津くんち・祭礼研修 |
昭和60年〜61年 | 鈴木 久則 | 平原 功 | 山田 豊 | 大銀座祭に山車での参加 創立15周年事業 |
昭和58年〜59年 | 北野 智彦 | 秋永 幸次 | 星野 哲男 | 大銀座祭に山車での参加 |
昭和56年〜57年 | 位下総次郎 割田保之 |
石川初雄 | 平原美代子 | 創立10周年事業 山車人形・小鍛冶完成 |
昭和54年〜55年 | 木下 惠一 | 秋永 幸次 | 真下 美鈴 | 上之町祭吉連より沼田祇園囃子保存会 祭吉連とする 阿波踊り・京都祇園祭祭礼研修 |
昭和52年〜53年 | 割田 保之 | 須田 清七 | 木下 邦夫 | 山車新造にて上之町区へ寄贈 第7回全関東祭囃子コンクール |
昭和50年〜51年 | 須田 章夫 | 割田 保之 | 祭礼功労に付き上之町区より感謝状を受ける | |
昭和47年〜49年 | 須田 清七 | 武井てい子 | 昭和47年1月4日、上之町祭吉連と称し発会した。山車改造する。 | |
昭和45年〜46年 | 代表:須田清七 参加者:割田保之 木下邦夫・位下総次郎・割田研司 |
祭の衰退を嘆き「祭吉連」と名乗り仲間相集い祭りに参加した。 |
昭和30年代のなかば、沼田祇園際は終焉を迎えようとしていた。戦後の貧窮の時代は終わり、世はまさに高度経済成長の時代にと変遷していった時である。経済中心の世情は郷土の文化や伝統に冷たい仕打ちを与え、日本中が同じ色でベタ塗りされていくようであった。
関東の荒祭としてその名を轟かせていた当時、山車に乗りお囃子を子守唄に、居眠りをしながら手すりにしがみついていた、あるいは大きな太鼓のバチの袋を首から下げはしゃぎまくっていた、あるいは鼻の頭に白い化粧をしてもらい得意満面でいた子供時代を過ごした若者の目に、次の時代にやってきた衰退してゆくお祭りの姿を見ているのは、とてもつらいことだった。
子供の頃の思い出と身体に染みついたお囃子の音色が忘れられず、自らの微力をも省みずに昭和45年、上之町に住む若者数人が立ち上がった。
ここに祭吉連は黎明を迎えたのである。
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